坂城の100人 第38回目は北国堂雪高

 先日、坂木の狂歌師の一人として、船海堂潮来(前澤茂左衛門)の紹介をしました。

 今回はその続編で、やはり同時期の有名な狂歌師、北国堂雪高(荒井得三郎)の紹介をします。

 北国堂雪高は坂木、横町の生まれで多数の狂歌を残しました。

                         

狂歌集の数々。荒井直喜さん蔵。(「ふるさと探訪」より)

                   

「信上諸家人名録」、左から二人目に荒井得三郎の名が。

                    

                  

 「ふるさと探訪」より北国堂雪高の句を五句掲載します。

 解説は塚田睦樹先生によります。

                   

                 

 「残鶯」(ざんおう)

                  

 すみなれし花の古巣も若葉して老荘の杜へかよううぐひす

               

 (住み慣れた花の古巣が若葉してしまったので、鶯は老荘の杜へ不老長寿の修行に通っている。老子荘子は中国の思想家。鶯を擬人化して老人の願いを示唆したのがおもしろい。)

                          

                      

 「猿」

                 

 なく猿の皮ハ鼓(つづみ)となりながらうって替りし声のさびしさ

                

 (猿はけたたましく鳴き騒ぐ。それが皮となり、鼓になっても音立てるが、あの元気さとうって替ってしまってさびしいなぁ。皮になっても鳴く哀れさ。)

                            

                     

 「梅」

                 

 ぬすみてもあと嗅ぎつけて追いかけん匂いにしれる梅の枝道

             

 (盗んでも後を嗅ぎつけて追いかけよう。梅の匂いでそれとしれるよ、梅の枝道は。 卑俗的な盗みと優雅な梅の香の取り合わせが面白い。どじな泥棒への笑い。)

                             

                          

 「旅春雨」(たびのはるさめ)

                        

 はるの雨ふるさと遠くはなれ来て音信(いんしん)もなき旅ぞ淋しき

                 

 (春雨がシトシトと降る。故郷を遠く離れて来て何の音信もない旅は心も滅入って淋しい。春雨が降るからか、たよりのないからか、淋しいのは、よく分かる心境。)

                               

                                

 「林外筍」(はやしのそとのたけのこ)

                     

 けん竿と末ハなりなん藪越て人の分地にいづる竹の子

                    

 (終いには間竿になってしまうだろう、竹藪を越えて他人の分地に顔出した竹の子は。林外筍は間竿になって土地の境を測るとした諧謔。)

                        

 以上、いずれの句もなかなか奥深いものがありますね。

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 坂城町長 山村ひろし

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